1st day: 5月2日
◆ 羽田 → 中国

 5時40分品川発の京急で羽田へ向かう。車中、扉脇の席に座ると途中から乗って来た頭のおかしいいオヤヂが延々歌を歌い続ける。Sexual Violet No.1のサビの部分を休む事なく延々と延々と、繰り返し、繰り返し、繰り返し…。ソコしか知らんのかい!旅の出ばなをくじかれる…。


 羽田に着きチェックインを済ませ7時30分発のANA機で一路関西国際空港へ向かう。早朝のためか機内は空いていて隣の席も空席である。約1時間半後、機体が着陸態勢に入ると窓から関西国際空港が眼下に見えて来た。陸から長〜ぃ橋につながれた大阪湾沖に、それも随分と遠くに浮かんだ空港である。そしてここから先はいよいよ国際線に乗換え、最初の経由地大連に向かうのである。


 関西国際空港に到着すると再び国際線のチェックインである。飛行機へのハブへ向かう途中、荷物検査の時に思いもよらぬ掲示を発見。現在、北朝鮮への渡航については「渡航自粛勧告」が出ている最中なのである。自分はまさにこれからソノ国へ向かおうとしているのに…、旅の行く先が案じられる…。そして再びANA機で大連経由、瀋陽行きに乗り午前10時頃関西国際空港を飛び立ち、いよいよ地上の楽園、北朝鮮に向かうのでした。




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◆ 中国・大連 → 瀋陽

 午前11時過ぎ、中国大連に到着。飛行時間は約1時間強。けっこう近い大連。ここ戦前は満州鉄道の本社があった所で日本の中国進出の要となった都市である。戦前、日本によって整備された放射状に伸びる道路は今も健在だと聞いた。丸い窓から見える風景は工業都市だからなのか、赤茶色やコンクリートの灰色の建物ばかりで緑地も少なく、全体的に殺風景な印象があった。


 さて、ここまで一人旅のようであるが、実はこの旅行、いわゆるパックツアーなのだ。自分の他にあと2人ツアーメンバーがいると言う事を旅行会社から聞かされていたのだが…、さて…。大連で飛行機を下りる時機内を何気なく見渡すと…、この中にあと二人の同行者がいるはずなのだが、オッサンばっかり。まぁ北朝鮮に行きたいなんて思ってる若いおねーちゃんなんかいるハズもないのである。ツアーメンバーにはあまり楽しい期待は出来なさそうである。


 それにしてもだ。大連の空港は出来たばっかりみたいにキレイなのである。来年にせまった北京オリンピックの影響もあってか売店ではすでに様々なオリンピックグッズが売られていた。まぁ、買いませんが。


 空港でしばらく待たされた後、大連から瀋陽に向かうため再びANA機に乗る。大連で一度降ろされた時と同じ飛行機である。当然ではあるが、さっきより搭乗者は少ない。同じ飛行機ではありながら今度は国際便から中国の国内便である。少しはいた女性客はさらに減り、オッサン度はさらに濃縮。ゴールデンウィークに日本から中国の奥地への女性客なんているはずはないのである。普通はみんなもっとハッピーな所に行っているはずなのである。旅の行く先が案じられる…。


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◆ 瀋陽 → 平壌 #1

 そして13時30分頃、経由地最後の場所である瀋陽に到着。着陸直前眼下に見える滑走路の脇に十数機の戦闘機が見えた。その多くはシートを被せられたままでこの戦闘機は果たして飛ぶのだろうか?と言う疑問がわいた。北朝鮮ではハリボテの戦闘機を並べて人工衛星からの撮影に備えていると言うがこれもそうなのだろうか?これから北朝鮮に向かおうとしているためかそんな事を思い出してしまった。


 着陸後の滑走路を走るANA機の窓から高麗航空の機体が目に入った。写真やテレビでしか見た事のないロシアの払い下げの古い飛行機である。なんだか「いよいよだなぁ」と言う気分にさせられる、と同時にこんな古い飛行機で無事に平壌までたどり着けるのだろうか…?と思った。もし事故っても日本の外務省は助けに来てくれないんだろうなぁ、ニュースとかに名前と顔写真とかも出たりして…、とも思ったのでした。これが今生の分かれなのか…なんて。


 15時発の高麗航空平壌行きまでにはまだ時間がある。とりあえず高麗航空の手続きだけはと思い国際線乗り場に向かおうと思うもなかなか見つからずにしばらくうろつくはめに。何度か同じ所を行ったり来たりする。まさかココは違うだろう、と思った一番はじの通路に向かうとその先に国際線カウンターが現れた。分かりニクぃ〜!


 高麗航空のカウンターに向かうとすでに何人かの旅行者が集まっていた。中国人に混じって日本人も何人かいるようだった。カウンターでは幸い日本語が通じ中国語で困る事はなかった。北朝鮮の旅行会社の人らしい濃いグレーのスーツを着た男の人がいて、その人はすでにこの日に北朝鮮に入国する日本人の写真付きリストを持っていた。もうすでに監視が始まっているのか…?!




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◆ 瀋陽 → 平壌 #2

 荷物検査を済ませ椅子に座って窓の外を眺めていた。窓の外にはこれから乗るであろう高麗航空の機体が横たわっていた。高麗航空の機体は最新機であっても1990年の導入のモノで、中には30〜40年前の機体を未だに飛ばしてるケースもあるらしい。その安全性にはさむ疑問の余地はたっぷりで拉致より数段コワイのである。


 これから乗る飛行機も、40年前の機体とは思わなかったが今まで乗っていたANA機と比べたら少し古い。イヤ、かなり古い。基本的に飛行機に乗るのは好きな方ではあるが、この機体を見るとさすがに飛行機嫌いの人の気持ちが少し分かるような気がする。飛行機に乗るなんてもう少し夢のある事だと思っていたのに…、悪夢にならねばいいが…、なんて事を考えならぼんやりと晴れた瀋陽の空を眺めていると向こうからサッカーシャツのオッサンが現れた。


 そう、このサッカーシャツのオッサンがツアーメンバーその1だった。話を聞くとトヨタに勤める43歳。中3の子供(男)が1人、髪型は角刈り、adidasのサッカーシャツにジーンズという出で立ち。期待はしてなかったがやっぱり北朝鮮のツアーメンバーに贅沢は望めないと確認させられてしまった。


 ツアーメンバーその2が現れたのは高麗航空の搭乗間近になった頃だった。ジーンズにピンクのシャツで、そのすそは勿論ジーンズにイン!カバンはリュックサック。髪は直毛。オタクの空気を漂わせた人物である。この人物は北朝鮮は2度目のリピーターで36歳、サラリーマン(職種は失念)、話し方も早口でモテない風である。北朝鮮に来るヤツらはクセのあるヤツらばかりである。


 15時頃、瀋陽発、平壌行きの高麗航空機はようやく動き出した。見た目の古さ通り内装も古く3列、3列しかない飛行機でANAやJAL、あるは他のメジャーな航空機のように前方に映像が映るスクリーンなどはない。一応ビジネスとエコノミーのような区別はあるようだが、席の位置が違うだけで特に違いは感じられなかった。ちなみに前方のビジネス?の席に座っていた人の多くは胸に北朝鮮の例のバッジを付けていた人が多かった。つまり北朝鮮国内では高官にあたる人達なワケである。観光客達とはあまり接触させたくないって言う事なのだろうか?


 高麗航空のスチュワーデスは真っ赤なユニフォームだった。彼女達はきっと喜び組よろしく北朝鮮では出身成分が良く美貌の持ち主の中から選ばれたのだろう。残念ながら正面の写真を撮れなかったのが悔やまれる。ツアーメンバーその2のピンクシャツは写真を撮ろうとして怒られていた。かっこ悪いのである。


 そして平壌までは約1時間半のあっと言う間の空の旅。羽田から大連、大連から瀋陽、最後に瀋陽から平壌までそれぞれ1時間強の搭乗時間ではあるが、1日に4回の乗換えを繰り返すとさすがに疲れるわけです。90年代には名古屋からの直行便が出ていた事もあったようだが、現在は政治上敵対国家である北朝鮮に向かう直行便などあるはずもなく、直行便なら2時間強で行ける所を1日かけて、乗り換えを繰り返して行かなければならない事には理不尽を感じるのでした。




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◆ 平壌・順安空港

 ついに、幸いにして、事故にも合わず平壌・順安空港に着く事が出来た。他の空港のようにハブが飛行機に伸び、そこから直接乗客が出入りするようにはなっておらず、60年代のように飛行機にタラップが横付けされ、そこから乗降する方式だった。

 開いた飛行機の出入り口から見えるその風景は、雑誌やテレビで何度も見た建物の上に金日成の肖像画が乗っているあの空港である。空港の規模は北朝鮮唯一の国際空港にもかかわらず、まるでどこかの地方空港のようで、高麗航空以外到着している雰囲気はなかった。待機している旅客機も他になく、唯一貨物機らしい機体が滑走路の横に止まっているだけだった。


 タラップを降り、バスに乗せられて空港建物に向かった。そしてこれから通関である。日本人観光客も少しいるようだったがその他の多くの旅行客は中国人のようだった。通関に並んだ列の一番コッチと一番向こうで大声で何か話しをしている。旅の恥はかき捨ての精神が旺盛な中国人らしい行動である。よく言えば、どこに行ってもマイペース。でも普通はこう言うのを傍若無人、と言うのではなかろうか。写真を数枚カメラに収めるもおっかなビックリだったため上手く撮れなかった。


 通関時、ココで携帯電話を一時没収されるのである(帰国時返却)。他のツアーメンバーもシブシブ携帯を取り出し没収準備をしていた。日本の携帯じゃあどっち道通じないのに…なぁ。で、自分はどうしたのかと言うと、試しにと思ってカバンの中にそれとなく入れっぱなしにしておいた。で、案の定X線検査ですぐに見つかる。没収されるかとも思ったが、自分の携帯はこの春に買ったばかりのauのメディアスキンである。北朝鮮や中国にこんなオレンジで板切れみたいな携帯はないと見えて不審がられながらもそのまま通過。小さな反抗、してやったりなのである。


 日本人が北朝鮮に入国する時パスポートの提出は求められるが、そこのビザの証書はない。日本と国交のない北朝鮮にその義務はないのである。お互いに国と認めていない状態。その変わり日本出国前にそれに変わる写真付きの別紙(ビザ変わり)入国証を渡されるのである。


 さて、荷物検査も済ませ無事通関を通過するとその先にすでに監視員!いや案内員3人が待ち構えていたのでした。

1. この案内員チームのリーダーで40歳前後の黒のスーツを着た森田健作似の男性ガイド。日本語ペラペラ。
2. もう1人が25歳のチマチョゴリの女性。特別カワイクはないが今回が観光ガイドデビューと言うのが初々しい。日本語はまずまず。
3. 最後は色黒で安そうなジャケットを着た専属ドライバー、名前は失念。日本語は話せない。



 それぞれ挨拶を交わし一行は何処かからの払い下げのオンボロのハイエースに乗せられ平壌市内へ向かうのでした。








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◆ 平壌へ

 初めて目にする平壌への道は左右に木立が並びその向こうに農地が見えていた。道の左右に人はたまに見る程度。行き交う車もあまりない。報道で言われている通りなのである。夕方にさしかかった平壌の空はなんとなく中国のようにホコリっぽいような感じがした。

 道路が緩やかに左へ曲がるその先に北朝鮮唯一の看板広告が立っていた。北朝鮮でいったい誰に向けての広告なのか?空港から平壌市内に向かう道にあるって事はやっぱり北朝鮮を訪れた外国人向け、って事になるのだろうか…?しかし、例えば海外から来た観光客がはたして北朝鮮製の車を欲しいと思うのか…?謎である。

 車中ツアーメンバーのピンクシャツと今回デビューの女子ガイドに持っていたクロレッツを勧めた。デビュー女子ガイドには「いいです」と断られた。トホホ…。


 30〜40分くらか…、1時間もかからずハイエースは平壌市内に入っていった(成田もこれくらい近ければいいのに)。ホテルに向かうのかと思いきやまずは今夜の夕食を取りにレストランへ向かった。レストランと言っても日本のソレとは全く違い看板らしい物はなく、飾り気の全くない灰色の建物だった。われわれ一行は言われるままにその中へ入って行った。中に入ると多少レストランらしい雰囲気であった。


 われわれが案内された2階にある個室はレストランの外装と同様飾り気のほとんどない部屋だったがテーブルの上にはすでに食器が並べてあり、料理の運ばれて来る準備がなされていた。チマチョゴリを着たウェイトレスが運んで来た料理がテーブルに並べられるとトヨタの角刈りとピンクシャツはカメラを取り出し猛烈に料理の写真を撮り始めた。しかたないのでオイラも写真をパチリ。


 この日の料理は一人前サイズの小さいステンレスの鍋に入った「朝鮮風すき焼き」だった。スープはたぶん鶏ガラだしの透明なスープで野菜や肉団子などが入ったものだった。その他には鶏肉と野菜の炒め物、イカと野菜の炒め物、カレイのフライなどであった。料理はどれも華やかさのないものばかりではあったが、口に合わないシロモノではなく、良くも悪くも普通なのである。でもまぁおいしく食べられたのでした。


 その時に飲んだビールは常温。そして微妙な甘みが口に残る。他のアジアの国でもビールは常温という所は多いそうだが、やはりビールはキリっと冷えた日本のビールが一番なのである。その後焼酎にチェンジ。氷をもらってロックで行きたかったのだが、「北朝鮮ではこのままで」、と森健似のガイドに言われしぶしぶ言われる通りに飲む。これもやはり甘みが少し強い。日頃飲んでいる芋焼酎と比べるとサッパリなのか…?で、何の焼酎なのか?と森健似のガイドに質問をすると「どんぐり」と答えた。「どんぐり」って!そんなのあるのか?!って言うか森健アンタも飲むのかぃ?!!ちなみにトヨタの角刈りはお酒飲まず。ピンクシャツは「平壌ビールは好きだ」とか何とか分かったような事をいいながら少し飲んでいた。とりあえずこの旅行中に食事で困った事になる事はなさそうだと少し安心したのでした。


 食事中ガイドの2人ともワリと楽しく会話も出来た。今回デビューの女子ガイドは日本では最近あまり見なくなった純粋と言うか清純派な雰囲気な子で好感度は高めなのである。しかし、北朝鮮で外国人の相手をするガイドの仕事に付いていると言う事はかなり出身成分の良い高官のお嬢さんなのではと思った。そんな育ちの良さが彼女の雰囲気に現れている気がした。森健似のガイドも北朝鮮の人と言うイメージとは違い、多少のジョークも分かるくだけた人であった。しかし彼も今回デビューの女子ガイド同様北朝鮮では核心階層なのであろう。2人とも北朝鮮の社会の中では幸せな暮らしをしている人達なのである。








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◆ 高麗ホテル #1

 食事後オンボロハイエースでこの日宿泊地「高麗ホテル」へ向かった。道中、午後8時にもなろうとしているのに外はまだかなり明るかった。北朝鮮の初夏の日は日本のそれより随分長い。ホテルロビーに入った時の第一印象は、「豪華」であった。確かに年季の入った印象はあるが、主に外国人が泊まるホテルと言うだけの面目は保っているように思えた。


 パスポートを森健ガイドに預けると彼がホテルのチェックインを済ませた。海外でパスポートを剥奪された我々は囚われの身である。そしてポーターに案内されエレベーターで客室へ向かった。エレベータが止まり、扉が開くと眼前に漆黒の闇が広がった。一瞬何事かと思ったのだが、ポーターが慌ててエレベーターから飛び出し電気のスイッチを入れた。ようやく目の前にホテルの廊下が現れた。そう、節約だったのである。日本で宿泊客のいないホテルのフロアは電気を消す決まりなのかどうかは不明だが、ここ北朝鮮ではそのようである。原油高がつづく昨今、よい心がけなのである。ただ、時突然電力不足で停電なんて事はごめん被りたい。


 部屋に入り明かりを付けるとコレがまた、予想を裏切るちゃんとした部屋でした。想像との落差が激しかっただけに驚きも倍増なのです。一人なのにツインの部屋なのでベッドは2つ。広さも前に泊まったニューヨークのホテルの部屋並みに広く、バスルームもキレイでもちろんシャワー完備。ちゃんとお湯も出ました。コレも外国人に帰国後イラぬ事をふれ回られない為なのか…?


 部屋にはテレビも完備されていました。北朝鮮のテレビはチャンネルが固定だと聞いていたが、ここ高麗ホテルでは平壌放送の他にも英語チャンネル、中国語チャンネルそして敵対国日本のNHKまで見る事が出来た。これはいったどんなセレクションなのか?平壌放送では例のおなじみの女性アナウンサーがニュースを読んでいた。朝鮮語なので内容は勿論不明。


 部屋に入って一息付いた頃には平壌の空もすっかり夜の帳が下りていた。窓から見える風景は、と思い外を見ると…、やはり暗い。日本のようにいわゆる看板の電飾みたいなモノは一切なく、所々点々と窓から漏れる明かりが見えるだけ。そして通りはたま〜に通る車のヘッドライトが見えるだけだった。ホテルの電気節約も単なる心がけではない事が分かる。電力は国民全員で革命的に節約しなければならないのだ。

 もう一つ。日本ではホテルの窓は転落防止のため数センチしか開かないのが普通である。いや、普通だと思っていた。しかしココ高麗ホテルではその常識はみごとに裏切られた。半畳ほどのガラス窓を内側に引っ張るとガバーっと大きく開いた。オイラの部屋は確か12階だったのだが勿論例外ではない。少ししか開かないのにも残尿感を感じるが、そこまで簡単に開く事が出来るのも、(まさか北朝鮮くんだりまで来て飛び降り自殺もないが)これはこれでなんとなく困りものである。ホテルはきれいでもヌケてる所はやっぱりヌケているのである。






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◆ 高麗ホテル #2

 部屋のチェック終了後、ガイド二人と我ら一行の三人は再びロビー横の喫茶店に明日以降の観光の相談のために集合した。森健ガイドにクエストはないかと聞かれたのでオイラは「6月9日高等中学校」を真っ先に上げた。しかし北朝鮮二度目のピンクシャツにアソコは前に行った時今ひとつだったと否定される。言葉には出さなかったが内心「コノヤロー」と思った。なんともぶっきらぼうな奴なのである。もしかしたらメンドくさい奴と一緒になってしまったのかと不安がよぎった。

 そして話はこの旅のメインディッシュ、アリラン祭の話に移った。アリラン祭の料金は現地で別途支払う事になっていたのだが、その時の為替レートで多少金額が上下する。この時の話では特等席金5万円也!お高いのである。メインディッシュなのでケチりたくはないが、当日直前までに決めればいいとの事なので一晩ゆっくり考える事にしたのである。5万円かぁ〜。


 その後雑談タイム。オイラとガイド森健はビール。森健、ガイドなのにまたビール?!。トヨタの角刈りとピンクシャツのバカはサイダー。今回デビューの女子ガイドはカワユくアイスクリーム。雑談中突然ピンクシャツがカバンをガサゴソやり始めた。何かと思ったら新品のチェキが出して来た。そして今回デビューの女子ガイドの写真を一枚撮り「あげます」だって。デジカメを持って来てるのにこれをやりたいが為にチェキを買ったと思われる。いちいちウットうしいヤツなのである。


 雑談後、部屋に戻る前にロビー奥の売店によって見た。タバコやチマチョゴリ、お菓子などなど色んな物が売っていた。ニュースで流れた食料危機がウソのように物資は豊富である。しかし中にはナゼこんなモノがこんな所にと思うような物も多数売っていた。


 夜はいつも元気なオイラも、出発当日明け方まで起きていたのでさすがにおネムになって来た。シャワー浴びてさっさと寝る事にした。




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